kana

ユーミンのアルバム『悲しいほどお天気』を聴く時、『水平線にグレナディン』のあとの『78』を飛ばして『さまよいの果て波は寄せる』を聴いてしまうことがある。
そもそも『水平線にグレナディン』はとても暗い、さみしい曲なのですが…AORで怪しくも盛り上がる『78』はせつなさの余韻をブレイクさせる役割なんですね。
で、そのあとの暗くも美しいバラード『さまよい〜』で再度リスナーを落とすという仕掛けなのでしょうか。
個人的には『水平線に〜』の余韻をブレイクしてほしくないですよね。
『78』が嫌いというわけではありません。


前置きが長くなってしまいました。
昨日の昼に飲み屋関連のお友達(そう呼ばせていただきます)から久々にLINEが入りロック画面というか通知で一部が見えるじゃないですか。
その時点で嫌な予感しかなかったのですが、存じ上げている方の訃報のお知らせでした。
僕はそこまで親しくしてるわけではありませんでしたがSNSでメッセージのやりとりをしたり、飲み屋で会った時はお話しさせてもらったりという繋がりでした。
連絡をくれた方はその方ともその方の相方さんともかなり仲良くされていたと思うので情報も早く届いていたんでしょう。
そのあとに先生とパパとのグループLINEで先生からも訃報を聞きました。

僕は初代mixiのアカウントは良くも悪くも思い出が残ってるものなので消さずに残していまして訃報を聞いたあとログインして亡くなった方とのメッセージを見返してみました。
パパもログインしていたみたいです。

印象通り繊細な人でした。
飲み屋ではたくさん飲んで酔っ払ってキャラ変していますが、シラフの時は真面目でメッセージの文章もかなり丁寧です。
忘れてましたがたまにやりとりしてたみたいです。
お店のママが亡くなった時はお互いに長文を送り合っていました。

不思議なものですよね。
そんなに親しい人ではなくても同じ空間で同じ時間を確かに過ごしていたそれは確かで、そんな人が旅立たれたと聞けばさみしいきもちにもなります。

実はその方と話したりするようになる前に、以前のお客さんから話を聞いていて…「あの人に男を寝取られた」と。
それが先入観として植え付けられていたので、どこかネガティブな印象を持ってしまっていたのも事実です。
あの界隈ではよくある話なんでしょうけど、飲み屋に出て間もない頃だったから変に潔癖ぶっていたのかも知れません。
のちに接してみて、悪い人ではないというか同郷のよしみもありましたけど他人に植え付けられた印象は忘れようと思いました。

そういうこともあって『さまよいの果て波は寄せる』とか『さみしさのゆくえ』とかねユーミンの歌を聴いていたわけです。
その方がユーミンファンだったわけではありません。
僕がお店関係の人を思い出すときはユーミンの曲を聴くのがしっくりするんです。

お店で遭遇したお客さんや関係者の訃報はもう何人か聞いていますが、同じ景色にいた人がもういないというのは…自分はさみしさを感じてしまうんですよ。

いずれは誰もがその時を迎えるわけです。
僕にもその時は来るでしょう。
それはひとつだけはっきりしていること。
生きているというのはつまりはそこに向かっているともいうことができますよね。

どんな生き方、どんな道を選んでも結末は同じなのだから…自分や大切な人たちと楽しい瞬間を分かち合うことくらいしか幸せの記憶は作れないよね。
そんなことを考えた午後でした。

なかなかブログ更新できずすいません。