長戸大幸
Daikoh Nagato
ながとだいこう ナガトダイコウ
1948年4月6日生まれ、滋賀県出身。
(株)B ZONE取締役、(株)エフエム滋賀取締役、(株)ドリーマップス代表取締役、(株)チアキス取締役、(株)エッセーレ取締役

ビーイング・グループ・ファウンダー。
音楽プロデューサーとして数多くのアーティストを送り出す!
現在の大手レコードレーベル『ビーイング』(現 B ZONE)創業者。
京都でブティック経営が軌道に乗っていたが、このまま進む自分の人生を考えた時に現状に納得できないものがあったという。
そして、吉田拓郎氏の『こうき心 '73』を聴き、その歌詞が(再度の上京の決断の)引き金を引いたという。
1976年、車1台と現金100万円を持って再々度東京に向かった。
まさかTUBE、B'z、ZARD、T-BOLAN、大黒摩季、WANDSといった歴史に名が残るアーティストを産み出すなんて思いもしなかっただろう27歳の旅立ちであった。
上京してからは、映画音楽など作曲家として活動する。
阿久悠さんが所属するオフィス・トゥーワン系列の音楽出版社に所属し、和田アキ子、石原裕次郎、舘ひろしなどの歌手に楽曲提供した。
出版社に所属するきっかけをつくったのは、のちにビーイング副社長になる人物、月光惠亮(つきみつけいすけ)氏である。
月光氏は80年代にビーイングを離れ独立、パブリック・イメージグループを設立しZIGGYやLINDBERG、田村直美、松田樹利亜、ZNX(じんくす)をデビューさせ、氷室京介のソロにも関与していた。
古巣ビーイングとは倉木麻衣の中国公演の際に協力していたという記録が残されている。
1977年、フォーライフレコードのオーディションに応募して合格。デビューシングル「軽い気持で」の録音と製造が完了していたが、発売の2週間前に発売中止となった。
その理由として「当時、泉谷さんの事務所に世話になっていたが泉谷さんがフォーライフを脱退することになり、自分自身事務所に居づらくなった」(本人談)
この時代には妹尾隆一郎(ウィーピング・ハープ・セノオ)氏のマネージャー兼付き人になるなどプロモーターとしての経験を積んでいる。
長戸氏の運命を変えたと言っても過言ではない人物との出逢いが訪れる。
ビーイングが手掛けていたFENCE OF DEFENCEのギタリスト北島健二氏の紹介で企画モノユニットのヴォーカルとして起用したのが若き日の濱田哲郎である。
濱田哲郎のデモテープを聴いた長戸大幸氏は、「これからは自作自演アーティストの時代だ」と直感し、才能に惚れ込んだ。
プロのアーティストとして活動してゆくことを心配していた濱田哲郎の親元まで出向き、両親を説得して契約するに至ったという。
その後、濱田哲郎はWHYという3人組バンドのメンバー織田哲郎として正式にデビューした。3人の構成は織田哲郎さん、北島健二さん、そして長戸大幸さんの弟の秀介さん。
その後のインタビューで「CBS・ソニーと組むにあたってウチ(ビーイング)のとっておきの織田を最初に持ってきた」とも言っており織田哲郎さんへの評価は相当高い。
そういえば、喫茶店で目にした『ちびまる子ちゃん』の漫画に感銘を受け、強引にツテを頼ってさくらももこ先生に会いに行ったというエピソードもあるように長戸氏はおそらく行動力がある方なのだということが察せる。
1978年、長戸氏は音楽制作会社ビーイングを設立。長戸氏によると当初は阿久悠氏も出資していたという。
ロックに強かった月光氏が中心になり、LOUDNESSやBOOWY(ビクター時代)、浜田麻里らを輩出。どちらかといえば当初はロック寄りのマニアックな会社だった。
80年代に生え抜きのパイプラインというバンドを輩出するが、若者から古いと言われたのでキャプテン・クックに改名させようとしたが事務所代表の菅原潤一氏が大反対したためThe TUBEでデビューさせ更に改名してTUBEとした。
彼らがヒットするが、資金難からマネジメントする余力がなく、前出の菅原潤一氏に預けている。
菅原氏は田辺エージェンシーのマネージャー出身でタモリさんの元マネージャー。
90年代に入るとTUBEが本格ブレイクとなり、B'zの快進撃が始まり、B.B.Queensのヒットがあった。ここからがもう一つの始まりと言えるのではないだろうか。
1991年頃からビーイング系のブームが始まり、全盛期の1993年にはヒットチャートをビーイングが埋め尽くすなどした。
ブームが収束したあともTUBEやB'z、ZARDや大黒摩季、T-BOLAN、WANDS、DEENなどは以降も高い売り上げを継続した。
長戸大幸氏はこの数年後に諸事情から東京を離れ、京都へ移住してそののち大阪に行く。
B'zやZARDのベストアルバムが立て続けに大ヒットとなり、2000年代に入ると倉木麻衣が大ブレイクし豊富な資金力を活かし、不動産業を本格化し、大阪を中心にいくつものビルやマンションを取得し、リノベーションして賃貸物件にするなどした。
その後、マンションを新築したり堂島リバーフォーラムを新築するなど本業が霞むほどに不動産業に注力する。
もともと所有していた代官山のビル再開発にも絡んでいる。
長戸氏は作曲家でもありプロデューサーでもあり、実業家でもあるので系譜が近いといえばアルファミュージックを創業して荒井由実さんを送り出した村井邦彦氏だろうか。
長戸氏の一端を垣間見れるエピソードがあるので記載しておきます。
ブルーズ歌手として現在も活動している近藤房之助さんをビーイングにスカウトしたとき、長戸氏は『あなたの音楽を銭にする』と言ったそうで、近藤氏は『嘘がないな~』と思ったそうだ。
そして長戸氏は自身のことを『近江商人』と語るのだという。
長戸氏はインタビューにおいて、『僕は人と人を結びつけるのが好きなんです』とも発言している。
長戸大幸さんが気に入ってるいるビーイング関連楽曲として織田哲郎の『光と影の中で』、ZARDの『サヨナラは今もこの胸に居ます』、T-BOLANの『愛のために 愛の中で』が知られている。
現在のパートナーは長戸千晶さん。(旧姓 増井千晶)
千晶さんは長戸氏がプロデューサーを務めるレーベルGIZAstudioで歌手活動していた碧井椿(のちのPINC INCボーカル)である。
碧井さんが長戸氏の子供を妊娠したため2008年に突然引退し、女児を出産する。その後も女児、男児と三人の子宝に恵まれたため、長戸氏は彼女と再婚する。
長戸千晶さん(ViViちゃん)はYouTubeチャネルを開設されておりセレブ女性として活動を公開している
これまでは夫妻であることは隠されていたが、最近のYouTubeでは長戸氏が旦那であることを関係者が話す内容も公開されている。
また、実業家でもある千晶さんはチアキスというヨガサロンの代表を務めている。
さらに長戸氏が一時期プロデュースしていたロックバンドのメンバーが長戸姓を名乗っており、状況証拠から1993年にBeachesというユニットのメンバーとして活動し、1995年頃に作詞家としても活動した黒澤摩凛子さんが1996年に出産した男児だと思われる。黒澤さんは京都大学出身の元タレントの沼田真理子さんとみられている。
この時期、長戸氏は京都に居住していて沼田さんは京都出身、京都大学卒業の方。
この男児が通っていた京都大学絡みの保護者ページにて沼田真理子として掲載され、息子さんは沼田大季として登場していた。
真理子さんと大季くんは顔が非常によく似ているので見間違えることはない。(どちらとも綺麗な顔です)
ところが卒業間際には沼田大季は長戸大季になっていたので、沼田さんが産んだ男児は長戸大幸氏の子供で大学卒業前に養子縁組をしたか、戸籍を新たにのではないかと思われる。
長戸氏は最初の結婚で恵まれたお子様もビーイングの関連会社の役員を務めているなど意外に面倒見が良い男性なのかも知れない。
▶︎プロデュース、プランニングに関与したアーティスト
BOOWY / 浜田麻里 / TUBE / B'z / B.B.Queens / ZARD / Mi-ke / T-BOLAN / WANDS / 大黒摩季 / MANISH / BAAD / TWINZER / DEEN / REV / ZYYG / EDGE / GEARS / FEEL SO BAD / TEARS / 宇徳敬子 / 森下由実子 / 柳原愛子 / 中村彩花 / Beaches / 中原薫 / View / FIELD OF VIEW
小松未歩 / 倉木麻衣 / 愛内里菜 / GARNET CROW / 上木彩矢ほか多数
▶︎作詞家、作曲家、編曲家
トータルプロデューサーでありながら、クリエイターとしての顔も持ち合わせている。イメージとしては小林武史型でしょうか。
《作曲》
・エマニエル『シティ・コネクション』(Danny Long 名義)
・和田アキ子『PARK AVENUE 7:PM』
・三原順子『セクシーナイト』
・三原順子『ドラム』
・石原裕次郎『それぞれの旅』
・渡瀬恒彦『風車』
・舘ひろし、Mi-ke『朝まで踊ろう』
・TUBE『内海シーサイド』
・TUBE『BECAUSE I LOVE YOU』(西村麻聡と共作)
・DALI『ムーンライト伝説』(w/z 吉江一男、小諸鉄矢 名義)
・上木彩矢『Tears』
・倉木麻衣『YESTERDAY LOVE』(久保田敬也と共作)
伊藤麻衣子・林寛子・沖田浩之・岡江久美子などにも提供。
《編曲》
・宇徳敬子『Good-by Morning』
織田哲郎によると、長戸氏は楽譜を書けるらしい。
・TUBE『センチメンタルに首ったけ』『ダンス・ウィズ・ユー』
《作詞》
・B.B.Queens『ギンギラパラダイス』
・B.B.Queens『ぼくらの七日間戦争〜Seven Days Dream〜』
・B.B.Queens『夢のENDはいつも目覚まし!』
・B.B.Queens『ドレミファだいじょーぶ』
・Mi-ke『想い出の九十九里浜』
・Mi-ke『ブルーライトヨコスカ』
・Mi-ke『悲しきテディ・ボーイ』
・Mi-ke『サーフィン・JAPAN』
・Mi-ke『Pink Christmas』
・Mi-ke『涙のバケーション』
・びわこ成蹊スポーツ大学 校歌
▶︎別名義
1993年、コンフィデンス誌上で耳病悪化によりプロデューサーを退任すると発表後、活動の拠点を関西に移す。
本人のインタビューによると、大阪の前に一時期京都方面にもいたらしい。
1996年になるとビーイングのレコードレーベルZAIN RECORDSに関西専門レーベルとして『WEST HAUS』を設立し、プロデューサー名義をROCKAKU(ロック悪)とする。長戸氏は『僕はロックが嫌い』と発言しているので遊びゴコロから決めた名前なのかも。
翌年、同レーベル内に再び関西専門レーベル『Spoonful』を設立、小松未歩をデビューさせる。
小松のデビュー曲がヒットすると、すぐさまレーベルを法人化し『Amemura O-town Record』が始動する。
小松が2ndアルバムで60万枚を叩きだし、長戸氏のプロデューサーとしての活動も本格化してゆくことになる。
1999年、Amemura O-town Recordを含めいくつかのインディーズ・レーベルを合併させて、関西初のメジャーレコード会社として株式会社ギザ『GIZA studio』を設立する。
レーベル黎明期は従来通り、既に存在するもの(アーティスト)に独自のエッセンスを加えて新たなものをつくる手法が取られた。
rumania montevideoがヒットし、同年12月にデビューした倉木麻衣が注目され、2000年にかけてブレイクを果たす。
この頃には『KANONJI』(カノン児)と名乗りプロデュースしている。カノンとは、あの有名なカノン進行のことでしょうね。
また小松未歩のプロデュースの際は、『KANONJI ROCKAKU』と名乗っていた。まさにアンチテーゼなのです。ロックとカノン。
坂井泉水が旅立った2000年代中頃以降のビーインググループ再編の際、チーフプロデューサーの一線を退いている。
その後は主に『GIZA studio』のプロデュースが中心となる。東京のアーティストも手がけることはある。
『長戸大幸』名義が復活しているが、アーティストによっては『KANONJI』を使っており、もはや深い意味はないようだ。
余談だが、ビーイングの作曲家兼アーティスト大野愛果(AIKA OHNO)が長戸氏のゴースト・ネームなのでははいかと噂になったことがある。
その根拠として長戸大幸(DAIKOH NAGATO)を並べ替えると(AIKA OHNO)が出来ること、もうひとつ森進一さんに『さらば青春の影よ』を提供した際、マスコミ発表では作曲が長戸大幸となっていたのにもかかわらず、商品では大野愛果にすりかわっていたことなどが挙げられる。
▶︎長戸大幸えとせとら
・ビーイングの株式は所有しており、現在も取締役に名を連ねる。会社自体は第三者(倉木麻衣 初代マネージャー)にまかせている。
・2021年、ハワイ州のワイキキ中心部にある商業不動産を476万ドル(約5億2,170万円)で購入した。
・実弟は2人。1人は70年代にEPICソニーから織田哲郎、北島健二と共にWHYというグループでデビューした長戸秀介。秀介はその後音楽プロデューサーになり藤重政孝やBLOWなどを送り出した。また大幸氏の会社の役員になっている。もう1人は肺癌で亡くなっている。
・プロデュースしていた歌手の愛内里菜からセクハラで訴えられていたが、長戸本人が出廷し「セクハラではなく交際していた」と証言し裁判所もそれを認めた。引退後も金銭の支援要請があったことなども明らかになった。同時に芸名使用についても係争中だったが2023年6月に和解が成立した。愛内里菜は愛内里菜と名乗ることができるようになった。一連の裁判で長戸大幸プロデューサーがプロデュースしているアーティストと交際関係になる人なのだということも表沙汰になった。長戸氏の現在の奥様も元々は歌手の碧井椿ですもんね。
▶︎インタビュー(対談)
https://www.faith.co.jp/25th/dialogue/nagato-daikoh.html
新しいウインドウでリンクは開きます
▶︎出演情報
まずメディアに出てくることはほぼなく、裏方に徹するタイプの方なので、なかなかその素性を知ることは困難です。
しかし、2020年!ばんばひろふみさんと共にラジオ番組をスタートしました。
番組 OLDIES GOODIES
放送 e-Radio (FM滋賀)
出演 長戸大幸、ばんばひろふみ
10月3日〜スタート!
12:00〜12:55(radikoでも聴けるそうです)
Daikoh Nagato
ながとだいこう ナガトダイコウ
1948年4月6日生まれ、滋賀県出身。
(株)B ZONE取締役、(株)エフエム滋賀取締役、(株)ドリーマップス代表取締役、(株)チアキス取締役、(株)エッセーレ取締役

ビーイング・グループ・ファウンダー。
音楽プロデューサーとして数多くのアーティストを送り出す!
現在の大手レコードレーベル『ビーイング』(現 B ZONE)創業者。
京都でブティック経営が軌道に乗っていたが、このまま進む自分の人生を考えた時に現状に納得できないものがあったという。
そして、吉田拓郎氏の『こうき心 '73』を聴き、その歌詞が(再度の上京の決断の)引き金を引いたという。
1976年、車1台と現金100万円を持って再々度東京に向かった。
まさかTUBE、B'z、ZARD、T-BOLAN、大黒摩季、WANDSといった歴史に名が残るアーティストを産み出すなんて思いもしなかっただろう27歳の旅立ちであった。
上京してからは、映画音楽など作曲家として活動する。
阿久悠さんが所属するオフィス・トゥーワン系列の音楽出版社に所属し、和田アキ子、石原裕次郎、舘ひろしなどの歌手に楽曲提供した。
出版社に所属するきっかけをつくったのは、のちにビーイング副社長になる人物、月光惠亮(つきみつけいすけ)氏である。
月光氏は80年代にビーイングを離れ独立、パブリック・イメージグループを設立しZIGGYやLINDBERG、田村直美、松田樹利亜、ZNX(じんくす)をデビューさせ、氷室京介のソロにも関与していた。
古巣ビーイングとは倉木麻衣の中国公演の際に協力していたという記録が残されている。
1977年、フォーライフレコードのオーディションに応募して合格。デビューシングル「軽い気持で」の録音と製造が完了していたが、発売の2週間前に発売中止となった。
その理由として「当時、泉谷さんの事務所に世話になっていたが泉谷さんがフォーライフを脱退することになり、自分自身事務所に居づらくなった」(本人談)
この時代には妹尾隆一郎(ウィーピング・ハープ・セノオ)氏のマネージャー兼付き人になるなどプロモーターとしての経験を積んでいる。
長戸氏の運命を変えたと言っても過言ではない人物との出逢いが訪れる。
ビーイングが手掛けていたFENCE OF DEFENCEのギタリスト北島健二氏の紹介で企画モノユニットのヴォーカルとして起用したのが若き日の濱田哲郎である。
濱田哲郎のデモテープを聴いた長戸大幸氏は、「これからは自作自演アーティストの時代だ」と直感し、才能に惚れ込んだ。
プロのアーティストとして活動してゆくことを心配していた濱田哲郎の親元まで出向き、両親を説得して契約するに至ったという。
その後、濱田哲郎はWHYという3人組バンドのメンバー織田哲郎として正式にデビューした。3人の構成は織田哲郎さん、北島健二さん、そして長戸大幸さんの弟の秀介さん。
その後のインタビューで「CBS・ソニーと組むにあたってウチ(ビーイング)のとっておきの織田を最初に持ってきた」とも言っており織田哲郎さんへの評価は相当高い。
そういえば、喫茶店で目にした『ちびまる子ちゃん』の漫画に感銘を受け、強引にツテを頼ってさくらももこ先生に会いに行ったというエピソードもあるように長戸氏はおそらく行動力がある方なのだということが察せる。
1978年、長戸氏は音楽制作会社ビーイングを設立。長戸氏によると当初は阿久悠氏も出資していたという。
ロックに強かった月光氏が中心になり、LOUDNESSやBOOWY(ビクター時代)、浜田麻里らを輩出。どちらかといえば当初はロック寄りのマニアックな会社だった。
80年代に生え抜きのパイプラインというバンドを輩出するが、若者から古いと言われたのでキャプテン・クックに改名させようとしたが事務所代表の菅原潤一氏が大反対したためThe TUBEでデビューさせ更に改名してTUBEとした。
彼らがヒットするが、資金難からマネジメントする余力がなく、前出の菅原潤一氏に預けている。
菅原氏は田辺エージェンシーのマネージャー出身でタモリさんの元マネージャー。
90年代に入るとTUBEが本格ブレイクとなり、B'zの快進撃が始まり、B.B.Queensのヒットがあった。ここからがもう一つの始まりと言えるのではないだろうか。
1991年頃からビーイング系のブームが始まり、全盛期の1993年にはヒットチャートをビーイングが埋め尽くすなどした。
ブームが収束したあともTUBEやB'z、ZARDや大黒摩季、T-BOLAN、WANDS、DEENなどは以降も高い売り上げを継続した。
長戸大幸氏はこの数年後に諸事情から東京を離れ、京都へ移住してそののち大阪に行く。
B'zやZARDのベストアルバムが立て続けに大ヒットとなり、2000年代に入ると倉木麻衣が大ブレイクし豊富な資金力を活かし、不動産業を本格化し、大阪を中心にいくつものビルやマンションを取得し、リノベーションして賃貸物件にするなどした。
その後、マンションを新築したり堂島リバーフォーラムを新築するなど本業が霞むほどに不動産業に注力する。
もともと所有していた代官山のビル再開発にも絡んでいる。
長戸氏は作曲家でもありプロデューサーでもあり、実業家でもあるので系譜が近いといえばアルファミュージックを創業して荒井由実さんを送り出した村井邦彦氏だろうか。
長戸氏の一端を垣間見れるエピソードがあるので記載しておきます。
ブルーズ歌手として現在も活動している近藤房之助さんをビーイングにスカウトしたとき、長戸氏は『あなたの音楽を銭にする』と言ったそうで、近藤氏は『嘘がないな~』と思ったそうだ。
そして長戸氏は自身のことを『近江商人』と語るのだという。
長戸氏はインタビューにおいて、『僕は人と人を結びつけるのが好きなんです』とも発言している。
長戸大幸さんが気に入ってるいるビーイング関連楽曲として織田哲郎の『光と影の中で』、ZARDの『サヨナラは今もこの胸に居ます』、T-BOLANの『愛のために 愛の中で』が知られている。
現在のパートナーは長戸千晶さん。(旧姓 増井千晶)
千晶さんは長戸氏がプロデューサーを務めるレーベルGIZAstudioで歌手活動していた碧井椿(のちのPINC INCボーカル)である。
碧井さんが長戸氏の子供を妊娠したため2008年に突然引退し、女児を出産する。その後も女児、男児と三人の子宝に恵まれたため、長戸氏は彼女と再婚する。
長戸千晶さん(ViViちゃん)はYouTubeチャネルを開設されておりセレブ女性として活動を公開している
これまでは夫妻であることは隠されていたが、最近のYouTubeでは長戸氏が旦那であることを関係者が話す内容も公開されている。
また、実業家でもある千晶さんはチアキスというヨガサロンの代表を務めている。
さらに長戸氏が一時期プロデュースしていたロックバンドのメンバーが長戸姓を名乗っており、状況証拠から1993年にBeachesというユニットのメンバーとして活動し、1995年頃に作詞家としても活動した黒澤摩凛子さんが1996年に出産した男児だと思われる。黒澤さんは京都大学出身の元タレントの沼田真理子さんとみられている。
この時期、長戸氏は京都に居住していて沼田さんは京都出身、京都大学卒業の方。
この男児が通っていた京都大学絡みの保護者ページにて沼田真理子として掲載され、息子さんは沼田大季として登場していた。
真理子さんと大季くんは顔が非常によく似ているので見間違えることはない。(どちらとも綺麗な顔です)
ところが卒業間際には沼田大季は長戸大季になっていたので、沼田さんが産んだ男児は長戸大幸氏の子供で大学卒業前に養子縁組をしたか、戸籍を新たにのではないかと思われる。
長戸氏は最初の結婚で恵まれたお子様もビーイングの関連会社の役員を務めているなど意外に面倒見が良い男性なのかも知れない。
▶︎プロデュース、プランニングに関与したアーティスト
BOOWY / 浜田麻里 / TUBE / B'z / B.B.Queens / ZARD / Mi-ke / T-BOLAN / WANDS / 大黒摩季 / MANISH / BAAD / TWINZER / DEEN / REV / ZYYG / EDGE / GEARS / FEEL SO BAD / TEARS / 宇徳敬子 / 森下由実子 / 柳原愛子 / 中村彩花 / Beaches / 中原薫 / View / FIELD OF VIEW
小松未歩 / 倉木麻衣 / 愛内里菜 / GARNET CROW / 上木彩矢ほか多数
▶︎作詞家、作曲家、編曲家
トータルプロデューサーでありながら、クリエイターとしての顔も持ち合わせている。イメージとしては小林武史型でしょうか。
《作曲》
・エマニエル『シティ・コネクション』(Danny Long 名義)
・和田アキ子『PARK AVENUE 7:PM』
・三原順子『セクシーナイト』
・三原順子『ドラム』
・石原裕次郎『それぞれの旅』
・渡瀬恒彦『風車』
・舘ひろし、Mi-ke『朝まで踊ろう』
・TUBE『内海シーサイド』
・TUBE『BECAUSE I LOVE YOU』(西村麻聡と共作)
・DALI『ムーンライト伝説』(w/z 吉江一男、小諸鉄矢 名義)
・上木彩矢『Tears』
・倉木麻衣『YESTERDAY LOVE』(久保田敬也と共作)
伊藤麻衣子・林寛子・沖田浩之・岡江久美子などにも提供。
《編曲》
・宇徳敬子『Good-by Morning』
織田哲郎によると、長戸氏は楽譜を書けるらしい。
・TUBE『センチメンタルに首ったけ』『ダンス・ウィズ・ユー』
《作詞》
・B.B.Queens『ギンギラパラダイス』
・B.B.Queens『ぼくらの七日間戦争〜Seven Days Dream〜』
・B.B.Queens『夢のENDはいつも目覚まし!』
・B.B.Queens『ドレミファだいじょーぶ』
・Mi-ke『想い出の九十九里浜』
・Mi-ke『ブルーライトヨコスカ』
・Mi-ke『悲しきテディ・ボーイ』
・Mi-ke『サーフィン・JAPAN』
・Mi-ke『Pink Christmas』
・Mi-ke『涙のバケーション』
・びわこ成蹊スポーツ大学 校歌
▶︎別名義
1993年、コンフィデンス誌上で耳病悪化によりプロデューサーを退任すると発表後、活動の拠点を関西に移す。
本人のインタビューによると、大阪の前に一時期京都方面にもいたらしい。
1996年になるとビーイングのレコードレーベルZAIN RECORDSに関西専門レーベルとして『WEST HAUS』を設立し、プロデューサー名義をROCKAKU(ロック悪)とする。長戸氏は『僕はロックが嫌い』と発言しているので遊びゴコロから決めた名前なのかも。
翌年、同レーベル内に再び関西専門レーベル『Spoonful』を設立、小松未歩をデビューさせる。
小松のデビュー曲がヒットすると、すぐさまレーベルを法人化し『Amemura O-town Record』が始動する。
小松が2ndアルバムで60万枚を叩きだし、長戸氏のプロデューサーとしての活動も本格化してゆくことになる。
1999年、Amemura O-town Recordを含めいくつかのインディーズ・レーベルを合併させて、関西初のメジャーレコード会社として株式会社ギザ『GIZA studio』を設立する。
レーベル黎明期は従来通り、既に存在するもの(アーティスト)に独自のエッセンスを加えて新たなものをつくる手法が取られた。
rumania montevideoがヒットし、同年12月にデビューした倉木麻衣が注目され、2000年にかけてブレイクを果たす。
この頃には『KANONJI』(カノン児)と名乗りプロデュースしている。カノンとは、あの有名なカノン進行のことでしょうね。
また小松未歩のプロデュースの際は、『KANONJI ROCKAKU』と名乗っていた。まさにアンチテーゼなのです。ロックとカノン。
坂井泉水が旅立った2000年代中頃以降のビーインググループ再編の際、チーフプロデューサーの一線を退いている。
その後は主に『GIZA studio』のプロデュースが中心となる。東京のアーティストも手がけることはある。
『長戸大幸』名義が復活しているが、アーティストによっては『KANONJI』を使っており、もはや深い意味はないようだ。
余談だが、ビーイングの作曲家兼アーティスト大野愛果(AIKA OHNO)が長戸氏のゴースト・ネームなのでははいかと噂になったことがある。
その根拠として長戸大幸(DAIKOH NAGATO)を並べ替えると(AIKA OHNO)が出来ること、もうひとつ森進一さんに『さらば青春の影よ』を提供した際、マスコミ発表では作曲が長戸大幸となっていたのにもかかわらず、商品では大野愛果にすりかわっていたことなどが挙げられる。
▶︎長戸大幸えとせとら
・ビーイングの株式は所有しており、現在も取締役に名を連ねる。会社自体は第三者(倉木麻衣 初代マネージャー)にまかせている。
・2021年、ハワイ州のワイキキ中心部にある商業不動産を476万ドル(約5億2,170万円)で購入した。
・実弟は2人。1人は70年代にEPICソニーから織田哲郎、北島健二と共にWHYというグループでデビューした長戸秀介。秀介はその後音楽プロデューサーになり藤重政孝やBLOWなどを送り出した。また大幸氏の会社の役員になっている。もう1人は肺癌で亡くなっている。
・プロデュースしていた歌手の愛内里菜からセクハラで訴えられていたが、長戸本人が出廷し「セクハラではなく交際していた」と証言し裁判所もそれを認めた。引退後も金銭の支援要請があったことなども明らかになった。同時に芸名使用についても係争中だったが2023年6月に和解が成立した。愛内里菜は愛内里菜と名乗ることができるようになった。一連の裁判で長戸大幸プロデューサーがプロデュースしているアーティストと交際関係になる人なのだということも表沙汰になった。長戸氏の現在の奥様も元々は歌手の碧井椿ですもんね。
▶︎インタビュー(対談)
https://www.faith.co.jp/25th/dialogue/nagato-daikoh.html
新しいウインドウでリンクは開きます
▶︎出演情報
まずメディアに出てくることはほぼなく、裏方に徹するタイプの方なので、なかなかその素性を知ることは困難です。
しかし、2020年!ばんばひろふみさんと共にラジオ番組をスタートしました。
番組 OLDIES GOODIES
放送 e-Radio (FM滋賀)
出演 長戸大幸、ばんばひろふみ
10月3日〜スタート!
12:00〜12:55(radikoでも聴けるそうです)