秋吉契里
あきよしちぎり アキヨシチギリ
2004年9月8日逝去。享年35歳。

Akiyoshi


1997年2月18日にビーイングのレコードレーベルROOMS RECORDSよりシングル『HAPPY BIRTHDAY FOR YOU』でデビューする。
長戸大幸氏のラジオにもゲストで呼ばれたビーイングマニアの代表格NANAKAKU氏のBBPによると秋吉さんは大学院で日本文学を専攻していたという。

1997年のビーイングは女性ソロアーティストが次々とデビューした不思議な年だった。(厳密には1993年にも似たようなことがあり森下由実子、柳原愛子、中村彩花、中谷美紀、中原薫)

その先陣をきったのがROOMS RECORDSからデビューした秋吉契里さん。
3月には日本コロムビアのB-CレーベルからAisha(東恵子)がデビュー。
5月になるとZAIN RECORDSから七緒香、同レコード会社Spoonfulレーベルから小松未歩、辻尾有紗が立て続けにデビューしている。
Aishaは中谷美紀さんと共にKEY WEST CLUBだった東恵子さん。
辻尾有紗は辻尾有佐として1996年にFIELD OF VIEWのシングル『Dreams』を作詞しており、1997年のデビュー後の2000年代には松永亜未としてthe⭐︎tambourinesヴォーカルでGIZAstudioから再デビューしている。
小松未歩はデビュー前に1997年にFIELD OF VIEWのシングル曲『この街で君と暮らしたい』を作詞、作曲している。

改めて考えると長戸大幸氏に関連するアーティストが続々とデビューしたことがわかる。もしかしたら秋吉契里さんもその一人だったのかもしれない。

ただ他3人と違うのはROOMS RECORDSからのリリースだったということ。
ROOMS RECORDSはビーイングがBMGビクターに設立した3つのレーベルをBMGと共に法人化したBMG ROOMSが元であり、1995年にビーイング単独出資になったときに社名変更したものである。

長戸大幸氏の話によるとソニーがTUBEの派生プロジェクトである渚のオールスターズから降りると言い出したため、当時抱えることになった近藤房之助さんや坪倉唯子さん、栗林誠一郎さんの活動の場がなくなってしまうということでBMGビクターに持っていった。
BMGにはB'zを預けていたがまだブレイク前ということで立場上強いわけでもなかったと推察されるものの、ビーイングが3つのレーベルを設置していたのだから不思議だ。
幸運なことに近藤さん、栗林さん、坪倉さんを含めたユニットB.B.Queensの『おどるポンポコリン』のヒット、B'zのブレイク、以前から制作を担当していたTUBEの本格ブレイクが1990年同時期に起こったためビーイングは激動の時を迎える。

この時期に長戸大幸氏がメインで売り出そうとしていた女子大学生「いずみちゃん(仮)」がいた。デビューにあたりいずみちゃんの両親から大反対されて実現には至らなかったという。
この年、関ゆみ子という女性アーティストが『ちびまる子ちゃん』初代オープニングテーマ『ゆめいっぱい』でBMGビクターからデビューしている。
ちなみに関ゆみ子は1993年に黒澤摩璃子、髙田万由子の3人組Beachesで再デビューしている。黒澤摩璃子は1996年7月に長戸大幸氏の子供を出産している。(現 長戸大季、長戸千晶さんがVログの中で娘たちの兄にあたると言っていた&ZARDのライヴにヴァイオリンで参加した&母親と同じ京都大学卒業)

さらに翌年にはB.B.Queensシスターズのオーディションで落選した坂井泉水がZARDとしてデビュー、合格した宇徳敬子、村上遙、渡邊真美がMi-keとしてデビューする。

興味深いのはZARDとしてデビューした坂井泉水についてだ。長戸氏は前出のいずみちゃんが印象に残っていたため坂井泉水のいずみで拝借させてもらった旨の発言をしているのだ。
つまり坂井泉水の名前を付けるにあたり、いずみという名前は長戸氏の中であらかじめ決まっていて、連想ゲームのように大阪の堺と和泉をくっつけて坂井泉水としたのではないだろうかというのが私の推測である。

もしかしたら、いずみちゃんは関ゆみ子あるいは坂井泉水のポジションでデビューする予定だったのかも知れない。

B'zのブレイクや『おどるポンポコリン』のヒットを経てBMGビクターに置かれたビーイングの3レーベルはBMGビクターとビーイングの共同出資でBMGルームスとして独立した。
新規でデビューしたのはDEEP'Sという藍澤刹那のバンドとMOONの矢嶋良介、元WANDSの大島こうすけさんが作ったユニットSO-Fi、中谷美紀、それと広告音楽制作会社ミスターミュージックとの企画モノのリリースくらいなもので新人のデビューの際に使用されるレーベルではなかった。
ちなみにSO-Fiは1992年に発売された『ウーマンドリーム』サントラに参加しており、歌詞カードのコメントにはアルバムのリリースが予定されてると書かれていたので既に契約が締結されていた可能性がある。
1995年にはビーイング単独出資となったことでROOMS RECORDSと社名を変える。独立した時点でビーイングは自前の販売会社J-DISCを持っていたが、その後2年間は販売委託契約を継続した。ビーイングは販売委託手数料をBMGに支払い続けたわけだが、それが終る1997年、ビーイングに許可なくB'zのベスト盤をリリースしてしまう。

秋吉契里さんがなぜこのレーベルからのデビューになったのか、その真相は不明だが異例だったことは確かである。

そこである仮説。
秋吉契里さんは、いずみちゃんその人で90年代にBMGビクターとアーティスト契約をしていたものの両親の反対でデビューしなかった。
その時の契約が残っており、契約はBMGルームスに引き継がれ、結果としてROOMS RECORDSに残ったため、契約を遂行するために秋吉契里という名前で活動した。契りとは約束のことである。
いずみちゃんに約束したデビューを叶えたという考え方もできるのではないだろうか。
リリースの枚数も2年でシングル7枚、アルバム2枚ときっちり出ている。セールスは度外視だった。

長戸大幸氏は億万長者である。
女性に対しては非常にジェントルマンであることは数多のエピソードが漏れ伝わっています。
Beachesの元メンバーでPAMELAHのデビュー曲の作詞家でもある黒澤摩摛子(元ミス京都大学、元タレントの沼田真理子)さんが妊娠して京都に戻った時期に長戸氏も京都に住んでいたことが判っており、つまり長戸氏の息子さんで間違いありません。
沼田さんは1996年7月に出産されておりますのでZARDの坂井泉水さんが『Today is another day』をリリースした頃です。
京都大学の関連ホームページで保護者として顔出して登場した沼田真理子さん、沼田大季くんですが数年後に長戸大季と姓が変わっていました。
沼田真理子さんはGIZA関連の会社で役員を務められていたこともありますので長戸大幸氏の面倒見の良さは分かると思います。
大季くんは幼い頃からヴァイオリンを嗜み、2026年のZARDのライヴにはバンドのメンバーとして参加されていました。

ちなみに元妻との間のお子様もGIZAの関連の会社で役員を務めていたことが分かっています。

活動を終え、更新されることもなくなっていたビーイングが開設した秋吉契里のホームページに訃報を伝えるポップアップが出現したことも異例中の異例のことであった。
特別扱いが意味するものは何だったのだろうか。

Discography


single


1. 『HAPPY BIRTHDAY FOR YOU』
C/W 『ねぇ…』
(BMDR-2007) 1997.2.18

2. 『愛なんて』
C/W 『きっと忘れるための』(アルバム未収録)
1997.4.30 / BMDR-2009

3. 『熱くならなきゃだめこれも恋だから』
C/W 『僕がいなくても』
1997.7.9 / BMDR-2010

4. 『あなたをただ愛して ただそれだけで生きてゆける』
C/W 『宇宙の法則』(アルバム未収録)
1997.10.29 / BMDR-2012

5. 『青白い炎のように揺れ続けて』
C/W 『いちばん遠いのは』(アルバム未収録)
1998.1.31 / BMDR-2014

6. 『無力』
C/W 『哀しみは涙よりも多く』(アルバム未収録)
1998.5.16 / BMDR-2016

7. 『キスより熱い運命』
C/W 『聖地』
1999.8.25 / BMDR-2019


album


1. 『存在』
1997.12.10 / BMCR-7020
1. いつか…
2. 僕がいなくても
3. HAPPY BIRTHDAY FOR YOU
4. 熱くならなきゃだめ これも恋だから
5. 存在
6. あなたをただ愛して ただそれだけで生きてゆける
7. ねぇ…
8. 愛なんて
9. 雲の階段
10. 運命の扉


2. 『無力』
1999.9.29 / BMCR-7037
1.生まれ変わっても×××
2.キスより熱い運命
3.嘆きの門
4.青白い炎のように揺れ続けて
5. 1秒も離れられない
6.聖地
7. べつべつの涙
8. 黙って愛し続ける自由
9. これが最後になるのなら
10. 無力
11. 黎明のとき


発売元:株式会社ROOMS RECORDS
販売元:株式会社J-DISC
※いずれも現在は株式会社B ZONE
※全リリースは1997年から1999年の2年間で完了している